旅のはじまりによせて |
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会期: 2018 4/14 [土]〜 7/8 [日] 展覧会は終了しました。 |
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大阪会場: 2018 7/21 (土) - 10/14 (日) 国立国際美術館 大阪・中之島 |
'2018 4_13 「プーシキン美術館展」 のプレス内覧会と開会式の会場内風景のご紹介です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。 |
「プーシキン美術館展―旅するフランス風景画」 opening |
「プーシキン美術館展」 展覧会の概要 ― 「プーシキン美術館展」 プレス説明会、チラシ、他よりの抜粋文章です ― |
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モスクワにあるプーシキン美術館の誇るフランス絵画から、17〜20 世紀にわたるフランスの風景画をご紹介する展覧会です。 風景画の中には、美しい理想的な大地であったり、自然の境遇を感動させる描写、また、懐かしさを感じさせるような景観、など、えりすぐった近代風景画の傑作
65 点を展示いたします。 |
'2018 4_13 「プーシキン美術館展」 プレス内覧会の作品説明会、「プーシキン美術館展」 図録、「PRESS RELEASE」、チラシなどの抜粋文章です。 |
第 1 部 風景画の展開―クロード・ロランからバルビゾン派まで |
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第 1 部では、風景画が絵画ジャンルのひとつとして自立していく過程を振り返る。 17 世紀、ローマで活躍した画家たちは、もっぱら聖書や神話に主題を求めつつ、その背景に広がる自然を理想化して描いて見せた。 自然を整えるというこの発想は、例えば貴族たちの優雅な日常を描く雅宴画や、古代に想いを馳せる廃墟画など、18 世紀の絵画実践にも引き継がれている。 一方、19 世紀になる頃には、絵画の受容者が王侯貴族から新興市民階級へと移行し、風景表現のあり方にも変化が生じた。 身近に広がる田園風景を、手頃なサイズの絵に描くバルビゾン派の画家たちは、その典型である。 |
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第 1 章 近代風景画の源流 (神話や古代、理想の美しさ) |
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左・cat.1 クロード・ロラン (クロード・ジュレ、通称ル・ロラン) [1600/1604 年 シャマーニュー-1682 年 ローマ(イタリア)] 《エウロペの掠奪》 1655 年 油彩、カンヴァス 100 x 137 cm |
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・cat.1 《エウロペの掠奪》 オウィディウスの 『変身物語』 に由来する。 フェニキアの女王エウロペ、その美貌に心奪われた神々の父ゼウスは、白く美しい雄牛に姿を変えて、女王エウロペを海の向こうのクレタ島に連れ去るというギリシャ神話の壮大な海景の場面が描かれている。 ・cat.8 《狩猟後の休息》 18世紀の建築風景画家、装飾図案家のラジューは、石工で建築家の父親のもとで育った。 ヴァトーやプーシェからの影響が色濃いその装飾的な作品は、ロココ美術に典型的な有機的曲線が見てとれる。 ・cat.9 《農場》 18世紀ロココ美術を代表する芸術家プーシェは、ヴェルサイユ宮殿 「王妃の間」 やルイ 15 世の居住空間などの装飾画により名声を上げた。 木々に覆われた、簡素な水車小屋で営まれる農民たちの日常風景、この作品は、画家の名が喚起する一般的なイメージからかけ離れている。 |
第 2 部 印象派以後の風景画 |
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第 2 部では、描かれた場所に注目し、大都市パリを基点に風景画の広がりを展観する。 19世紀半ばから、「パリ大改造」 (1853-70 年) が行なわれ、パリの街並みは大きく変わった。 印象派の画家たちは新しい大通りや広場を歩き、近代都市の情景を数多く描いていく。 パリを起点に鉄道網が発達すると、人々は気軽にパリ郊外へ、フランス中部、さらに南フランスへと足を延ばした。 画家たちも各地へ赴き、自然豊かな郊外や南フランスの海辺などを様々に表現していく。 |
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第 3 章 大都市パリの風景画 (にぎわいの近代都市パリ) |
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左・cat.27 ピエール=オーギュスト・ルノワール [1841 年 リモージュ-1919 年 カーニュ=シュル=メール] 《庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰》 1876 年 油彩、カンヴァス 81 x 65 cm |
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・cat.27 《庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰》 ムーラン・ド・ラ・ギャレットはモンマルトルの丘にあった大衆的なダンスホールで、ルノワールは 1876 年、すぐ近くにアトリエを借り、その賑わいを描いていく。 この頃の代表作としては、 《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》 がよく知られている。 本作品は、この作品の準備段階で描かれたものだと考えられる。 画商がルノワールの作品を定期的に購入するようになるのは 1881 年、彼が 40 歳になる年のことでした。 ・cat.28 《パリ環状鉄道の煙 (パリ郊外)》 本作品では、中心部の賑わいだけではないパリの様子が、鋭いまなざしで捉えられている。 「小環状線」 とも呼ばれたパリ環状鉄道は、1850 年代から 60 年代にかけて相次いで開業し、当時のパリ市街地を囲むように敷設された。 地方とパリを結ぶ各路線のターミナル駅が市内に点在したため、それらをつなぐように設けられたもので、主に貨物用として、また有事の際の物資や兵力の輸送のためにつくられた。・cat.35 《冬のパリ、サン=ミシェル橋の眺め 》 シテ島と左岸をつなぐサン=ミシェル橋は、パリで最も古い橋のひとつでその歴史は 14 世紀に遡る。 当初の木造から幾度か架け替えられたが、マルケが描き、今日も目にすることができるのは 1857 年に造られた三連アーチ橋である。 マルケの絵画では省略されているが、各アーチの間には、当時の皇帝ナポレオン 3 世の頭文字 N があしらわれている。 |
第 5 章 南へ―新たな光と風景 (南仏 まばゆい太陽の魅力) |
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左・cat.55 ピエール・ボナール [1867 年 フォントネ=オ=ローズ-1947 年 ル・カネ] 《夏、ダンス》 1912 年 油彩、カンヴァス 202 x 254 cm |
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・cat.55 《夏、ダンス》 ボナールは、ナビ派として知られる。 1910 年と 1912 年にモロゾフからモスクワの自邸を飾る装飾画の注文を受けた。 本作品もそのひとつで、1913 年 1 月初めにモロゾフによって購入されている。 本作は、ボナールが1909 年から地中海沿いのいくつかの町に滞在し、この頃にボナールが暮らしたグラース近郊で描かれたことがわかっている。 ・cat.56 《港に並ぶヨット》 本作品の描かれた 1905 年夏、ドランはマティスの誘いに応じ南フランスの町コリウールに滞在し、帆を乾かすヨットの連なるコリウールの港を、リズムカルな筆触で描いている。 新印象派の点描技法をポール・シニャック (1863-1965) から学んだマティスとともに、フォーヴィスムと名付けられる新たな表現様式をこの地で生み出していく。 ・cat.59 《アンテオールの海》 1899 年頃、ヴァルタは南仏アンテオールの海辺に家を建て、同じく南フランスで暮らしたルノワールやシニャックらと親交を深めながら、特徴的な岩や木々、海辺をモチーフに数々の風景画を手がけた。 世紀転換期に活動した様々な画家から表現を学び、フォーヴの画家として知られ、ゴーガンやファン・ゴッホの影響も見られる。 |
プーシキン美術館本館 |
プーシキン美術館新館 |
プーシキン美術館の礎を築いたコレクターたち ―展覧会パネルより抜粋文章― |
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プーシキン美術館のフランス絵画コレクションは、18 世紀にエカチェリーナ 2 世をはじめとする王侯貴族が収集したオールド・マスターや 19 世紀から 20 世紀初頭に実業家たちが収集した近代絵画が源流となっている。 ここでは、本展覧会に関連する 4 人のコレクターを紹介しよう。 彼らのコレクションは、ロシア革命以降、激動の時代の波をくぐりぬけ、現在も私たちの目を楽しませてくれる。 |
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セルゲイ・イワノヴィチ・シチューキン (1854-1936) |
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イワン・アブラモヴィチ・モロゾフ (1871-1921) |
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ニコライ・ボリソヴィチ・ユスーポフ (1750 頃-1831) |
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セルゲイ・ミハイロヴィチ・トレチャコフ (1834-1892) |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「プーシキン美術館 展」図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。 |
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